![]() |
![]() |
![]() |
||
| 1月11日、曇り。風はやや冷たいが、数日前まで雪を降らせていた寒気団は魔の手をゆるめたようで、突き刺すような寒さはない。新幹線こだま号で東京駅から約1時間、われわれは三島の駅に降り立った。今日は世にもめずらしいゴルフ対決があるのだ。 |
![]() |
ベストセラー『自在力』の著者、塩谷信男翁。現在、98歳。いまでも週一回のラウンドをこなす現役のアマチュアゴルファー。 かたや、こちらもベストセラー『快癒力』の著者、篠原佳年。50歳。現在ハンディ1の実力を持ち、プロと比肩しても遜色のないゴルファーだ。 ともに医学博士であるこの二人が、今日、初対面にして一緒にラウンドすることになる。場所は、三島スプリングスカントリー。晴れた日なら、富士山の威容を一望できる高級ゴルフクラブだ。 両著書の担当者でもある編集部のSと、編集部で唯一ゴルフを愛好するAが、この世紀の「ゴルフ対決」に同行し、お二人の華麗なプレイを目に焼きつけた。以下はそのレポートである。 今回のゴルフの試合は、篠原氏からの一本の電話から始まった。 プロ並みの実力を持ち、自らゴルフに関する本も出している篠原氏から、担当編集者のSに一本の電話がかかってきたのは、昨年の暮れも押し詰まったある日のことである。 「塩谷先生とまわってみたいんじゃ」――ひととおりの用件を話し終えた後、篠原氏は独特の岡山弁で言い放った。先生ほどの実力の持ち主がなぜ?との問いに、氏は次のように答えた。自分はゴルフでハンディ1の実力をもつにいたった。しかし、年をとってからゴルフをどう楽しむか、ひいては、医者としての仕事をリタイアした後どうするか、ビジョンをもっていない。塩谷先生から、そういうことを学びたいんだ、と。 それは、驚くべき言葉であった。篠原氏が1997年に書いたベストセラー『快癒力』は、病気なおし・健康づくりということから、人生をどう生きるか、この世に生を受けた意味はなんなのか、という究極の問題をえぐった人生哲学の書であった(サンマーク文庫に収録)。この本は多くの人の心を掴み、30万部を突破した。 しかし、篠原氏はその成功にとどまることなく、トマティスメソッドという、人間の耳が聞き取れる周波数を広げる方法論を取り入れ、心身の癒し、あたらしい医療への挑戦をつづけてきた人である。つねに未来に向けて突進していくチャレンジャー、篠原氏には、そういう言葉が似合う。 その篠原氏が、年をとった時のビジョンを98歳の老人から学ぼうとしている。さらなるチャレンジが始まろうとしているのだ。感慨を覚えずにはいられなかった。 篠原氏からの言葉を受けて、塩谷氏からはすぐに快諾の意向が伝えられた。こうして、21世紀を迎えたこの日、驚異の対面が実現したのであった。 プレイの前、コーヒーカップを前によもやま話に花を咲かせる。「塩谷先生が、こんなにお元気だとは思いませんでした」と篠原氏が驚嘆の言葉を吐いた。本当に元気なのだ。はたから見ると、80代前半ぐらいに見える。背すじもまっすぐ堂々としていて、ゆっくりではあるが、しっかりとした足取りで歩く。言葉にも毅然としたものがある。3月に99歳の誕生日を迎えるとはとても思えない。熱海に自宅があるので、このゴルフ場にはタクシーを使って一人でやってくるという。 「週に一回、冬でもこのゴルフクラブに来てラウンドする。雨の日以外は、一人でもまわる」と塩谷氏は得意げに語った。自宅マンションでも、毎朝1時間、屋上のゴルフ練習場でボールを打つという。 |
![]() |
スタートは9時36分。重くたちこめていた雲のところどころから青空が顔をのぞかせるようになった。ゴルフ日和である。 まずは、篠原氏が最初の一打。小柄な体がしなやかに回転すると、ボールは真正面に飛んでいく。フォームに勢いがあり、自信があふれている。さすがである。軽く250ヤードはオーバーしているようだ。 塩谷氏は元気といっても高齢ではあるので、シルバー・ティーからのスタートとなる。塩谷氏は100歳になっても疲れないフォームを開発したという。なるほど、ボールを打つ瞬間、ひざがわずかに曲がる、不思議なフォームだ。しかし、頭から背骨にかけての軸はまったくブレない。クラブを振りおろすときには、重力を最大限に利用し、無駄な力がまったく入っていないのが素人目にも明らかだ。ドライバーの飛距離は150、160ヤードといったところか。1ホール目は、篠原氏が4打、塩谷氏は6打で終えた。まずまずのスタートだ。 塩谷氏は、他の人がプレイをしているときはカートに腰掛けたまま眺め、自分の番になるとパターを逆さに持ち杖がわりにして、傾斜のある場所でも階段でも歩いていく。さすがに段差があったりと気がかりなので、キャディや周りの人が一緒について歩くが、足取りは確かだ。 老化は足から来るともいうが、塩谷氏の姿を見る限り、おそろしいほど老いを感じさせない。そういう氏であるが、若い頃は「病気の百貨店」と揶揄されるほど、体が弱く、苦労したという。東京帝国大学(!)を卒業後、開業医となるも、病魔はたびたび塩谷氏を襲った。肺結核を患うがこれを克服、腹膜炎を患った時には医者から「ご臨終」を告げられ、最後の挨拶にたくさんの人が集まってきたという。 しかし、塩谷氏は生き延びた。その秘訣はなんだったか。それは、「呼吸」と「イメージ」だったのである。60歳を過ぎてから、氏は「正心調息法」という独自の呼吸法を完成させた。これは深い腹式呼吸とともに、健康になった、病気は治った、といったイメージを同時に行うという呼吸法である。 90歳を過ぎた塩谷氏は、「正心調息法」を世に広めるべく、講演、執筆活動に明け暮れている。「自分自身がサンプルだ」と塩谷氏はいう。誰でも自分と同じように100までは元気で生きられる。健康長寿で生き、大和の世(世界が平和で、かつ天変地異も起こらない世の中)を創るよう、多くの人にこの方法を伝えたい。そういう気持ちが塩谷氏をますます若返らせているのであろう。塩谷氏の健康長寿の秘訣を述べた著書『自在力』は、@A合わせて10万部を超え、いまもなおロングセラーをつづけている。 午前中のラウンドをつづけるうち、いつしか空は見渡すかぎり青く晴れ渡った。8番のティーグラウンドに立ったとき、われわれは思わず「おおっ」と声をあげた。青空をバックに、富士山がその白い巨体をまばゆいばかりに輝かせているではないか。 富士は晴れたり日本晴れ、である。 前半のハーフを終え、富士の壮麗な姿を一望できるレストランで食事となった。 塩谷氏の注文したのは、海鮮丼とオレンジジュース。海鮮丼には、丈夫な歯をもってしても噛み切るのがむずかしそうなイカも入っていたが、後でちらっと確かめたところ、塩谷氏はきちんと食べていた。なにしろ、98歳の今も、歯はすべて自前というから、驚くべきである。普段の食事は、玄米に野菜というヘルシーなもの。こういう食事を氏はかれこれ70年近く続けているとのこと。健康長寿の秘訣はこんなところにもあったのだ。しかし、外出したときに出されたものは、何でもおいしそうに食べる。「原則を守るのはいいが、とらわれるのはいけない」というのが氏の考え方なのだ。 |
![]() |
窓からの絶景を楽しみながらの食事が終わり、午後1時から後半のプレーを再開。インコースのスタート地点近くには、「塩谷信男 エイジシュート達成記念」の小さな看板が立っている。 自分の年と同じか、より少ないスコアでまわるエイジシュートを、塩谷氏は過去3回達成している。87歳のときのスコア83、92歳のときのスコア92、そして94歳のときの94である。せっかくの機会でもあるので、この記念看板に並んでいただき、写真をとった。 思いのほか、風が強くなった。アゲインストの風にはばまれ、飛ばすのにひと苦労だ。篠原氏の口からも、不満の声があがる。何しろ狙った距離の半分ほどしか飛ばないのだ。塩谷氏にとってもかなりきついに違いない。 それにしても、塩谷氏は、本当にゴルフを楽しんでやっている。あまりスコアも気にならないようで、一打一打を丁寧に打つことに喜びを感じているようだ。最後のパターを打たずにボールを拾い上げて終わるときもある。 ゴルフというスポーツに出会えてよかった、という氏はうれしそうにいう。いくら高齢になってもできるし、なにより気持ちよい空気を吸いながら大地を踏みしめてプレイできるのがいい、と。 一方の篠原氏は、グリーンの上を歩いていても、独自のゴルフ論が始まり、それがいつしか人生論につながっていく。 「ボールを打つときには、槍投げをする人のように、体を縮めてバネを最大限に使わないと、ボールは飛んでいかない」 「ゴルフは人生と一緒。目の前のボールを打つことばかりに気がいって、どこをめがけて打っているのかが見えていないと別のところに飛んでいってしまう」 「上手くなるほど、ゴルフはシンプルになっていく。打ちやすいところにボールが落ちるから、ますます簡単に打てる。最後まで単純なことしかしないのが上手い人のゴルフ。下手な人は、難しいところへめがけてボールを打ち込むから、どんどん複雑になっていく。これも、人生と一緒」……耳が痛い話だ。 3時半をまわり、最終ホール。冬のおだやかな太陽はすでに傾きかけ、風が心持ち肌寒くなった感がある。赤いウィンドブレーカーに身をつつんだ塩谷氏が最後のパターを決め、ゲームセットとなった。 篠原氏は、ハンディ1の実力を見せ、トータル80。塩谷氏は強風も影響したのだろう、120近くたたいたようだ。4度目のエイジシュートには到らなかったが、しかし、実に悠々としたプレイぶりには、篠原氏も心底、感銘を受けたようである。 フルコースを回ると若い人でもかなり疲れるものである。塩谷氏は息も切らせず、最後までまわりきった。その体力と精神力たるや、脱帽というところである。 最後に篠原氏がふともらした言葉が印象的であった。 「自分が98歳になったとき、果たして塩谷先生のようにまわれるだろうか」…。 |
![]() |
「君たちは今日、わたしの姿を実際に見ただろう。わたしは別に特別な人間というわけじゃない。だれでも正しい生き方をすれば、こういうふうになれるんだ」 プレイの後、レストランに戻り、お茶を飲んだ。富士山はうっすらとした雲をまとい、幻のようにかすんで見える。塩谷氏は力説する。 「だから、君たちは、そういうことをできるだけ多くの人に伝えなくちゃいけない。そういう使命があるんだぞ」 現実に98歳の人とコースをまわってみると、塩谷氏の話がハラに落ちる。それは、衝撃的であるとともに、感動的といってもいい。人間の可能性とは、われわれが考えているよりずっと、大きいのではないか。 塩谷氏が生まれたのは1902年。その翌年、ライト兄弟は人類初の飛行に成功している。この百年のうちに、どれだけのものが様変わりしたことだろう。宇宙ステーション、遺伝子操作という時代を迎え、人類の可能性はたしかに格段に広がった。しかし、その一方で、精神の荒廃、倫理の欠如などさまざまな問題が噴出しているのも確かだ。 これだけ人類が地球を汚してきた以上、そのツケを払わなければならないときがくるぞ、と塩谷氏はいう。その言葉には、年輪と重みがある。塩谷氏が正心調息法とともに提唱しているのが「大断言」である。世界の平和を祈る力強い言葉だ。人間の思いは森羅万象に影響する。だから、正しい心と祈る心をもつことが大切だという。 塩谷氏、篠原氏、ともに共通して語るのは、人間の心と思いが大切だというきわめてシンプルな真理である。98歳にして、はつらつとグリーンをまわる塩谷氏の姿こそが、その生きた証拠ではないか。 両先生を見送ると、富士はふたたび深い雲のなかに身を隠し、日が落ちかけた街には、淡い黄昏が広がっていた。 塩谷氏と篠原氏。ユニークで偉大なこの先生方と同じ時代を生きたことを、いつの日かなつかしく思い出す日がくるであろう。われわれは両先生からいただいた貴重なメッセージを語り継いでいこう、そして、少しでもよい世の中をつくるようにしよう。そうあらためて心に刻んだのであった。 貴重な冬の一日であった。 (編集部・斎藤) |